2019年公開映画『ジョーカー~JOKER』分析

I saw this movie as the main character, Arthur, not as an evil charisma, but as a man raised by a mother with a narcissistic personality disorder. The first half is in Japanese and the second half is in English. ブログ全体の前半が日本語、後半が英語です。日本語のもくじは、各記事の下にあります。

#48 マレーの番組に登場

2019年公開映画『ジョーカー~JOKER』分析

 


Can You Introduce Me As Joker? | Joker (2019)

 

 マレーはアーサーをステージに呼び込む前、コメディ・クラブでのアーサーのライブ映像を流します。アーサーはそれをカーテンの陰で聞いています。

 マレーはアーサーのことを、本人の前で本人を馬鹿にしても、それに気がつかない馬鹿だと考えているわけです。

 

 ここで映画とシナリオがちがってきます。

 シナリオではアーサーは、ステージ袖のカーテンに絡まってしまい、とても無様に登場することになりますが、映画ではステージ袖でライブ映像の音声を聴きながら踊りだし、いざ出番になったら華麗にターンしながら登場して、女性博士にキスまでし、不器用な感じがありません。

 

 映画では、袖でライブ映像をみながらみんなが自分をあざ笑っていた間に、再び少し、アーサーの変容が起こったのではないでしょうか。変容のサインのダンスもありました。

 

 ステージ上で椅子にかけ、マレーとの会話が始まりますが、受け答えにおどおどしたところはありません。わざと“発作的な笑い”を見せますが、病気の笑いではなくて、あきらかにわざとです。

 

 ノートをポケットから出して見るところがあります。

 シナリオでは「ノートに挟んだブルース・ウェインの写真を見た」となっていますが、映画では、以前ソーシャルワーカーが読み上げた「わたしの死は、わたしの生よりもお金になるものであってほしい」という文を見ています。

 ずっとジョーカーは死にたいと思ってきましたが、ステージでこれを読みながら「もうやめた」と考え始めたのでしょうか。

 


Joker Kills Murray Scene - JOKER (2019) 4K Movie Clip

 

 アーサーはノックノックジョークを言いますが、ジョークではなくただの悲惨な話です。

 みんなを笑わせようとしたジョークではなく、自分の心の荒廃をぶつけることでみんなを面食らわせて自分一人が楽しむためのジョークです。心が荒れているとこういうことをしたくなります。

 わざとであることは、すぐにこう続けることでわかります。

「悪かった。この数週間つらくてね。証券マンを3人殺して以来」

 


How about another joke, Murray? | Joker [UltraHD, HDR]

 

 マレーが「どう信じろというんだ?」と聞きます。

「ぼくには失うものは残ってない。何もぼくを傷つけられない。これがぼくの運命だ。ぼくの人生は喜劇でしかなかった」

 そして哲学的なことを喋ります。馬鹿な人にできることではありません。これが本当のアーサーです。今までは母親に潰されていたから自分らしくすることができなかったのです。

 

 アーサーは言いたいことを言いたい放題言って、怒りをぶちまけます。

アーサー「ぼくが歩道で死んでも踏みつけるだろう。あの3人に同情するのは、トーマス・ウェインが悲しんだからか?」

 マレー「トーマス・ウェインと問題でも」

 ここで、アーサー答えはきっぱりと「Yes, I do.」と言います。もし養子だったら、問題も関係もないはずですが、問題はあると言っています。

 そしてシナリオだけにある一文。「Everything comes so easy for him. 彼にとっては全てが簡単だ」つまり、自分を捨てることも簡単だったということです。

 これが映画でカットされたのは、謎を残すためですね、きっと。

 

 アーサーは世間の人たちがいかに冷たいかを饒舌に語りますが、マレーはうんざりした顔です。

「自分を憐れむのなんかもう聞きたくないね。君は3人の若者を殺した言い訳をしたいんだろう。誰もがひどい人なわけではない」

 よくいます、こういう言い方をする人。こういう人は、自分が正義と信じて疑いませんから、相手の意見は聞きません。冷酷代表になっているのにも気がつきませんが、世間の人の意見も大半はマレー側ですよね。

 もしかしたら、これを読んでくださっている方も、マレーの言い分のほうが好きかもしれませんね。だとしたら、アーサーはただの堕落していく馬鹿だと思われていますね。ネットにはそういう書き込みが多いようです。

 もちろん、殺人はダメだし、わたしは殺人を支持しているわけではありませんが、アーサーの気持ちをせっかくですから、ちょっとだけ考えてみてほしいです。

苦しい人に、苦しいと言うことを許さない世界は、好きですか?

 アーサーがマレーに「あんたは最低だYou're awful, Murray.」と言いますが、どれだけの悲しみをもってそう言っていることか。

 この会話の間に、アーサーは決心します。

 自殺はやめて、マレーを殺す。

 自分を馬鹿にする世界に逆襲する。そう決めたのではないかと感じます。

 この会話をするまでは、少しは理解しあえるのではないかと期待していました。だから話をしたんです。何も言わずにいきなり撃ったわけではありません。

 自分の気持ちを訴えても、馬鹿にされるばかりだったから、反撃するしかなかったのです。

 マレーが「わたしのどこが最低だって?」と聞くと、アーサーは応えます。

「ぼくのビデオを流し、ショーに招待した。ぼくを馬鹿にするためだけに。あんたは他のやつらと同じだ、マレー」 

 なんと的確な答えでしょうか!

 これ以上、セリフを紹介しても不毛なのでやめますが、アーサーの受け答えは少なくとも知能に障害がないことを示しています。

 

 とうとう怒り出したアーサーがマレーを撃ちます。

 左目からは涙が流れています。

 お父さんだったらどんなにいいだろうと思ったこともあるマレーが、まったく理解してくれなかった、それが悔しくて涙が出てきました。

(こう書くと、確かに自分勝手な言い草ではありますね・汗)

 撃ったあとは、さすがにナーバスになって貧乏ゆすりを始め、死んだマレーをもう一回撃ちます。挙動不審です。悪のカリスマにはとても見えません。

 

 そしてテレビカメラを奪って「GOOD NIGHT AND ALWAYS REMEMBER,--THAT'S LIFE!」と言うとシナリオには書いてありますが、映画ではTHAT'Sと言ったところで切られてしまいました。

“しばらくお待ちください”みたいな画面が出て、軽快な音楽が流れます。

 


Ray Davies and His Button Down Brass - Spanish Flea | Joker OST

 

 

 

 

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