#39 母親がいた精神病院へ
2019年公開映画『ジョーカー~JOKER』分析
バスで病院に行きます。
バスも病院も落書きがあり、荒れ果てています。
窓口で母親のカルテを出してもらいながらアーサーが話し始めたのは、「ある人たちに酷いことをする羽目になった。悩むかと思ったけど、悩まなかった」
3人殺したけど、なんともないという意味です。
なぜそんなことを喋る気になったのか?
ここは「悩まなかった」とアーサーの口から言わせるためにつくったエピソードかもしれません。
昨夜のシーンからアーサーはものすごく落ち込んだ様子を見せていますが、映画を見ている気のいい方たちが「人を殺したから落ち込んでいる」と誤解しないように、わざわざこのくだりを作ったのではないかと思いました。
アーサーが落ち込んでいたのは、父親だと信じたトーマスに拒絶されたからであって、人を殺したからではありません、という意味のシーン。
ここで、映画ではカットされたエピソードがシナリオにあります。
事務員「あんたをどこかで見たことがあると思ったが―あんた、この前、マレー・フランクリンの番組に出ていなかったか」
アーサー「いや。何のことかわからない」
事務員「Sorry, Murray just killed some poor guy on TV,-- 悪い。マレーがテレビで、かわいそうな奴を打ちのめしたんだ」
事務員はkillつまり「殺した」と言っていますが、うまく日本語にできません。心を殺したという意味です。
客観的に見てもマレーは残酷だったということですが、映画ではカットされています。
カットした理由は、この病院のくだりがアーサーの過去に関するもので特に重要なシーンなので、そこにマレーの意地悪に関する話を混ぜたくなかったのかと思います。
事務員はカルテをみつけ、ペニー・フレックの診断は妄想性精神病、自己愛性人格障害。自分の子供の健康を危険にさらした罪で有罪。
事務員は、その『30年前に危険にさらされた子供』が目の前の男だと気がつき、「お母さんだと言ったね?」と確認したあと、「カルテを持ち出すことはできない」と言います。
そして映画ではカットされていますがシナリオにだけあるセリフ。
事務員「それにしても酷い」
アーサー「ぼくは酷いのは平気さ」
この2行の代わりに映画では、事務員をやっている役者さんが目で、セリフを言う以上の憐憫を表現しています。本当にさすがだと思います。セリフで言うよりずっと価値があります。
事務員は対応を切り上げようとしますが、アーサーはカルテを奪って逃走。
誰か追いかけてくるのではと気にしながらも、階段の踊り場でカルテを読み始めます。家に帰ってからゆっくり読むなんて余裕はありませんでした。
カルテには、異常行動とか身体的虐待の記録と、養子縁組申請書がありました。
養子の記録に、「名前不明(棄児)」とあって、これがずっとあとのシーンで、アーサーがマレーにジョーカーと呼ぶように頼み「自分の本当の名前がわからない」と言った伏線です。
マレーにそう言ったときには、書類がデタラメだったことを知っているはずですが、「トーマス・ウェインは自分を捨てた。だから自分の父親ではない」というつもりです。
どうでもいいですが、病院のカルテに養子縁組申請書や新聞の切り抜きがあるというのは、アメリカって変わった国ですね!
映画の都合ですが。