#24 お母さんのアパートのキッチンで
2019年公開映画『ジョーカー~JOKER』分析
くどいですが、シナリオによりますとここは『お母さんのアパート』です。アーサーは働いているのに居候です。存在を尊重されていません。
ほぼ空になった薬の容器が6つほどテーブルにあります。アーサーの手がそのうちの一つから最後の錠剤をとりました。
吹っ切れて精神的にすっかり快調になったと思いきや、そう簡単にはいかず、まだ薬が必要なのでした。
ランダルに言いたいことを言って良い気分で事務所を出たことにして、もう大丈夫な気がしたけれど、家に帰ったらまた最低の気分が襲ってきます。
実際にうまく言えたわけではないでしょうから当然かもしれません。
テレビを見ていた母親がアーサーを呼びます。
映画『ジョーカー』特報【HD】2019年10月4日(金)公開
ドラマの中の毒親は、現実とは違う
ここで少し、ドラマや小説のストーリーで扱われる毒親について書きます。
日本のドラマや小説などを見ていますと、『毒親』がテーマであると見せておいて、『実は、子どもを愛している良い親だった』というオチが多いです。
幸せな話のほうが受け入れられると同時に、『自分の親を毒親だと言うやつはワガママな親不孝もの』という風潮があるせいかと思います。
ドラマの中ではたいてい、『子供がワガママだっただけで、親は親なりに必死に子供を愛していた』となります。
毒親育ちではない人たちがこういうものをたくさん見ますと、現実に毒親育ちの人に出会ったとき、ドラマでは何度も見ていますから『自分は物事を知っている』という気になってしまい、『親をちゃんと理解してあげればいいのに』と助言してしまいます。
「現実の世界には本当にひどい親もいる」と言いますと、そういう方たちは、ご自身の親が否定されたような気がするようで、怒りだします。
一方、毒親育ちのほうは、「だれも自分を理解しようとしない」という気分になりまして、その辺がアーサーに似ているかなと感じるところです。
良い親に育てられた人と毒親育ちでは、お互いに理解することは無理なようです。