#43 母親を病室で殺害
2019年公開映画『ジョーカー~JOKER』分析
Joker / Arthur Kills His Mother Scene (My Life Is A Comedy)
ここでもセリフが映画とシナリオでは違います。
映画では、「ペニー・フレック 嫌な名前だ」
シナリオでは、「ママ、ぼくの本当の名前は何? ぼくはどこから来た?」
シナリオより映画のほうが母親に対する怒りがわかりやすいです。
映画「ぼくの笑いは病気だと言っていたけど、違うよ。これが本当のぼくだ」
シナリオ「この笑いは、神様が理由がって与えたってよく言ってたよね。目的があるって。 -神じゃなかった、あんただった。あんたか、あんたのボーイフレンドの一人だ。ぼくの本当の名前を知らないんだろう? ぼくが本当は誰なのかも」
映画では「これが本当のぼくだ」と責任を自分に置き、シナリオでは「虐待したから病気になった、お前のせいだ」と責任を母親に置いているように聞こえます。
映画とシナリオではかなり違います。
この理由は、どんなに悪い親でも「親が悪い」と言ったら、映画を見ている観客に受け入れられず、「アーサーは親のせいにする根性曲がり」と受け取られてしまうからではないかと思います。
映画は、なんとなく見ている人が大半だし、そういう人たちは印象だけで嫌なやつと決めてしまいます。
そして「これが本当のぼくだ」の意味ですが、「自分に責任がある」と聞こえるセリフになっていますが、違うと思います。
このセリフに真意があるとしたら、それは「自分の運命に対する怒り」です。
「あんた(母親)が悪い」と考えるよりも、一段広げて「自分にこんな人生を振り当てた自分の運命が悪い」 自分に冷たい世界への怒りです。
毒親育ちは自己否定を埋め込まれますので、動きがとれません。最終的には、世界や運命(神)を恨む気持ちが出てきます。
「やっぱり被害者意識じゃないか」と言われたらその通りかもしれませんが、なんでも自己責任だといって否定するのは、ちょっと待ってほしいです。
理解できなくても、否定の言葉を口にするまえに、ただ黙っていてあげるだけでいいので。
「何がハッピーだ、幸せなどなかった」と言いながら母親を殺します。ずっとよほど怒っていたわけです。それを抑え込んでいたから苦しかったし笑いの発作もでていました。
「何を怒っていたの?」とお考えになる方が多いかもしれませんが、自己愛性パーソナリティー障害の母親に育てられることをどうか想像してみてください。
ずっと母親のいいように操られて、自分がなくなっていきます。
計算するとこの時、母親の年齢は50歳ちょっとです。なのにまるで80代の老人のように見えます。
自分がかわいそうなのはあなたのせいよ、とアーサーに無言の圧力をかけてきて、気をつかわせます。アーサーのエネルギーを奪い続けてきました。
でもこれは、やられた人にしかわからない感覚かもしれません。
もう一回確認ですが、アーサーが母親を殺したのは、憎んでいたからです。
愛していると言いながら利用してくる母親に育てられるのは苦しいです。