2019年公開映画『ジョーカー~JOKER』分析

I saw this movie as the main character, Arthur, not as an evil charisma, but as a man raised by a mother with a narcissistic personality disorder. The first half is in Japanese and the second half is in English. ブログ全体の前半が日本語、後半が英語です。日本語のもくじは、各記事の下にあります。

#42 お母さんのアパートのリビングルーム

2019年公開映画『ジョーカー~JOKER』分析

 

 笑い続けるアーサー。

 泣きたいときに、こうして大笑いするしかできないわけです。

 


Joker:All Arthur’s/Joker’s Laugh Scene

 

 ここで突然ですが、映画の中で、銃で決着をつけたことについて少し個人的見解を書きます。

 

 わたしの偏見かもしれませんが、欧米の方たちの正義の考え方は、日本人とは少し違うようです。

 人を射殺して決着をつけるのは、誰が何といってもダメなわけですが、そもそもアメリカは銃社会です。力で守ることが認められています。

 

 なぜこうなっているのかですが、社会の分断を保持しようとする気持ちがどこか、あるいは誰かにあるのではないでしょうか。

 とくにアメリカでは、強いことが正義というか、自分の正義を主張し証明する強さが求められるようです。この傾向が、社会の分断に利用されているように思いました。

 

 アメリカでは、何も言わない人は自分の意見をもたない馬鹿だと思われると聞いたことがあります。これが本当のことがどうかわかりませんが、多少論理が破綻していても自分をアピールしなければ生きていけない社会らしいです。

 こう考えていくと、日本人から見た『ジョーカー』とアメリカ人が見たそれは、大分違っているわけです。遺伝子で受け継がれているようなので、お互いに本当に理解することはできないのかもしれませんが。

つまりアメリカの人々は、銃で決着をつけたことにひっかかりがほぼなくて、単純に拍手喝采しているのかもしれないのです。

 この映画が危険だと言われたのは「真似をして実際に銃で殺人を犯す人が出るから危ない」というだけの理由であって、見た人の心に「ネガティブな思考パターンを残してしまうから」というわけではなさそうです。

 

アメリカの人たちは、実はアーサーに対して「よくやった」と、口には出せないけれど拍手喝采しているのではないでしょうか。あるいは、口に出すまでもなく当然のことかもしれません。

暴動を起こした人たちがジョーカーに喝采を送るシーンがありましたね。同じことが日本で起きても、あんなに大勢が堂々と殺人犯に喝采を送るとは思えません。まあ、映画の話で、実際にアメリカで起きたわけではありませんが。

 

 ところで、その、人々の『力をよしとする思考パターン』を利用して、自分たちの立場を守っている人たちがいるように感じませんか?

 本当は、人を殺して自分の心を救う『アーサーがとった方法』より、いい方法があります。心の闇を、平和的に解決し、心を救う方法です。

でもそちらをとらずに、殺す映画が作られ、世界に受け入れられました。

 結果的に、殺人者を賛美するような映画がまた一つ世に出たわけです。

 陰謀論に聞こえるかもしれませんが、社会の分断を歓迎する支配層がどこかにいて、このアイディアを拾いあげて実現させたように感じます。

『ジョーカー』を見るときは、作品の質を楽しみつつ、「また洗脳をしかけてるな。よくやるよな」と眉に唾をつけておくのが安全のような気がします。

 

 わたしはこの映画を、「ジョーカーは悪だ」とか「嫌なやつが殺されてすっきりした」と言って優越感にひたるための手段ではなく、困っている人たちの心を理解するための一助として、見ていきたいと思います。

 以上、ヒプノセラピストの見解でした。

 

 


映画「ジョーカー」本予告60秒 2019年10月4日(金)公開

 

 

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